誰かの役に立ちたい。

私も意識をしていた訳ではありませんが
常にそう願っていたように思えます。
それに気がついたきっかけは

20代後半の時
ある友人の悩みの相談に乗っていて
私もとてもその友人のことが心配で
事あるごとに連絡をしていたのですが
その悩みが解決し元気になると
パタッと連絡が来なくなりました。

そして1年近くたったころ久しぶりに連絡をすると
近々結婚すると聞かされました。
そのときは「よかったね」と思ったのですが
正直なんだか心はモヤモヤしていました。

後から気がついたことですが
そのモヤモヤの正体は

あれだけ相談にのったのに
元気になった途端に
何の連絡もくれなくなったことに対する不満と
もっと感謝されてもいいのではないかという
思いだったのです。

今から思い返すとなんて傲慢だったのだろうと
顔から火が出そうです。

友人に対してそう思った私は
本当にその友人のためを思って
相談にのっていたのでしょうか。

その相談に乗ることによって
自分は他人から必要とされているという
自分の存在価値を確認したいという
気持ちもどこかにあったのだと
認められたとき
憑き物が落ちたように
心が楽になりました。

私は、自分の存在価値の判断を
相手にゆだねていたのです。

もちろんそう思えるようになるまでは
時間がかかりましたが。

誰に認めてもらわなくても
まずは自分が自分を認めること。
だからと言って
別に誰にも認めてもらえなくても
私は平気!ではありません。

誰のために?
まずは自分のために

そして
自分の存在や言動が
誰かの役に立つのであれば
こんなに素敵なことはないと思いませんか。

今朝、大リーガーの大谷翔平選手の
動画を偶然みて
彼のように自然体で
人柄の良さがこんなにも
にじみ出ている人はめずらしい
きっと彼が意識しなくても
その存在自体が人の役に
立っているのだろうと思ったのでした。

春の校舎

 

投稿者プロフィール

橋本真弓
橋本真弓くれたけ心理相談室(ベルギー エノー支部)心理カウンセラー
ご自宅への訪問(ブリュッセル・その他地域)・オンラインカウンセリングを承っております。お気軽にお問合せ下さい。

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